親の器もそれぞれであって、子供の器もそれぞれ。なのにすべて環境のせい。

私は子供が1人しかいないし、子供が苦手な方なので子供のことはよくわかりません。しかし、自分の子供を育てていたり、よそのお子さんの様子をみたり聞いたりしていると、

 

子供の器ってそれぞれ

 

と思います。たいした苦労なく勉強ができる子もいれば、親がどうなだめすかしても勉強が苦手だったり、勉強は普通だけどスポーツが得意だったり、算数は苦手だけど本読みは大好き、など、様々です。

どんぐり倶楽部では、環境設定を求められます。どんぐりの教えどおりの環境を設定してその中で子供を育てれば、子供はみんな思考力をみにつける。思うように育たなかったら環境設定が甘いのではないか。

しかし、いくら環境がどうのこうのといっても、結局は子供の器によると思うのですよ。

環境が多少悪くたって、できる子はできるし、勉強が苦手な子はそれなりの成果しか出ないのでは?

どんぐりだけでプラプラ遊んでいて大阪大学に合格した元どんぐりっこのお子さんはは、それなりの器があったからではないでしょうか?

できる子はどんな方法でもできるのではないでしょうか。

勉強が苦手でどんぐり問題がなかなか解けないからといって悲観することはなく、自分に向いたもの、興味のある分野で勝負すればいいのでは?子供の時には箸にも棒にも引っかからなかったけれど、もう少し大きくなってからいろんなことが結びつき、急に勉強に興味がでてきて成果をあげる子供もいるのでは?

それを十把一絡げに問題が解けないことを環境のせいにするところ、環境さえ整えれば確実に成果が出るというところに強い違和感を感じました

こちらのブログにもうまくまとまっています。

 

 

また、親に対しても同じです。

親だって様々な親がいます。パチンコやギャンブルに溺れている親、子供のことよりも自分の楽しみを優先する親、被害妄想の強い親、落ち着きのない親、人格が優れている親、勉強は苦手だけど夫婦円満で仲良し家族の親、子供が苦手でどう育てたら良いかわからないけれど子供のことを第一に考えて試行錯誤している親、などなど。

一言に親といってもその器もそれぞれです。

それら親たちを十把一絡げにして、子供がどんぐり問題を解けないと「間違い子育ての結果です」とめったざしにする。ここ、強烈な違和感です。

アル中やギャンブル依存やネグレクトな反社会的な親に対して言うならともかく、多くの親は自分のリソースの大部分を子育てに注いで試行錯誤している善良な人々なのではないでしょうか。文化遺産のある家庭もあればない家庭もあります。

それを、とにかく十把一絡げ。

もしかしたら、教義を深く読み解けば、私の解釈は間違いということに自分で気付けるのかもしれません。でも、普通の人はそんなに時間ありません。まとまりのわるい大量の資料を読むので精一杯です。

結局、どんぐり倶楽部が求める親像とは、疑うことをせず、浴びせられた言葉には素直に反省し、どんぐりの教えに忠実であろうとする、怒ることなくいつもゆっくり喋るほんわかしたタイプの親なのではないかと思います。

また、求められる子供像とは、ひたすら外遊びが好きで元気が良く、どんぐり問題をおやつを食べながら「面白い!」と目を輝かせながら解く子供。

こうすればこうなる、って理想の枠に落としこもうとしすぎではないでしょうか。

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この記事を書いた人

西欧で「どんぐり問題」を子供にさせていました

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